ロシアがピンチの頃、ニコライ2世の従兄弟ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は1905年3月31日、突如としてモロッコのタンジールに上陸した。モロッコはフランスとスペインの植民地で決まりかけていたところに、ヴィルヘルム2世はモロッコの独立と門徒解放を要求したのである。
これに勇気を得たモロッコの首長アブドゥル・アシズはフランスの要求を拒否、ドイツはモロッコ問題への国際会議開催を提唱して独仏間に緊張が走った。それだけではなくドイツは部分動員を開始し、フランスは大慌てでイギリスに支援を求め、イギリスはそれに応じた。
そして返す刀で7月24日、独皇帝は、日露敗戦で打ちひしがれていた露皇帝を気分転換にフィンランド沖のヴョルケに連れ出す。ここで何と何と独露の相互援助密約を結んでしまうのだ。ニコライ2世は日英同盟を結んだイギリスを憎み、フランスを巻き込んでイギリス包囲網を築こうとした。
しかしこれは2人の思い付きにすぎず、特にドイツに恨みを持つフランスが承知するはずはないと両国閣僚が反対してこの密約はお流れ。そしてドイツはロシアの支援を得られず、モロッコ問題の国際会議でも孤立して一応は門徒解放が認められたものの、仏西の有利に決着、英仏が絆を深めるヤブヘビな結果となった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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