第7回十字軍7-ルイ9世エジプト侵攻

1249年5月13日、ルイの十字軍はキプロスを出発し、エジプトに向かった。到着を前にルイ9は「我は王にも教会にもあらず、皆が王であり教会である」という演説をぶった。そしてイスラムに「死にたくなければ改宗せよ」と宣戦布告を叩きつける。

ダミエッタに着くや、ルイ王は真っ先に腰までざんぶと海につかりながら降りて、自ら先陣を切った、おおかっこいいぞ!第5回十字軍でさんざん抵抗したダミエッタは今回ほうほうのていで逃げ出し、十字軍はあっさりここを占領した。王弟ロベールは、早くも自分がエジプト王になると逸る逸る。次はアレクサンドリアと決めていた目標を「蛇を殺すにゃ首を切るべし」と、カイロ進撃を主張し、自分で駆けだしたのだ。

スルタン、アル・サリは、今回も「エルサレム返すから許して」と言いだした。しかし王弟は「テロリストじゃねえ、異教徒と交渉はしない」と独断で拒否ってしまった。軍はエジプトの砦マンスーラを目指し、ナイル支流を渡ったところで、イスラムの陣地を村の老若男女を道連れにせん滅してしまった、これも実は王命違反。

調子に乗るロベールは、このままマンスーラを突こうと逸る。テンプル騎士団総長は走り続けていたことで、一旦軍を休ませることを説くが聞く耳持たず。仲裁に入った「長剣のウィリアム」にも、「イングランド人など帰ってもいいぞ」と挑発。売り言葉に買い言葉で若造が見ておれとばかり走り出し、王の後続本隊を待たずに、疲れた身体で決戦に赴いた。

下はマンスーラの戦い

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。