アルビジョワを平定したルイ9世だが、やはり父と同じく疫病に罹り寝込んでしまった。こんなときこそ母の出番と、ブランシュは看病するやら祈るやら。しかし危篤かと思われた息子王は、十字架を所望した。母が渡すと何と不思議それから息子は快癒していったのである。
まあ現代でも祈りは免疫系を治療の方向に持っていくという効果があるといわれ、他の人の祈りも効果があるという実験もされているようだ。ともかく快癒した仏王は、神のために十字軍を志願するといい、今度は母を絶望に陥れたそうである。
ルイ9世は、十字軍に行く前に皇帝と教皇を和解させようとインノケンティウス4世と皇帝フェデリコの和議をセッティングした。ところがその直前、心変わりをした教皇はドタキャン、船をジェノバに向け、上陸したからリヨンに向けて出発した。実はリヨンはフランスの中にありながら教皇領なのである。
起死回生の一手とはこのことである。教皇領といいながら、フランスは庇護せざるをえない。フェデリコの手の届かぬところへ行って、教皇は翌1145年6月に、リヨンで公会議を開催するとお触れを出した。前教皇のやろうとした公会議は皇帝がつぶした、何をやるかは歴然としていた。
下は祈る聖王ルイ
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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