モンゴルの侵入は聖地の運命を変えようとしていた。中東方面へはチョルマグンが司令官となり、1231年イランにあったホラズム・シャーを滅亡させ、さらに西進した。滅ぼされたホラズム残党はモンゴルに押される形で西進していく。そして1239年イスラムとキリスト教の停戦期限が切れ、スルタン、アル・カーミルが崩御した。
1240年ナバラ王にしてシャンパーニュ伯であるチボー1世が十字軍を率いて、アスカロン等を征服した。そこで新たにスルタンとなったアル・サーリフは、シリアを襲っていたホラズムに「キリスト教なら襲ってもいい」とけしかけた。1244年、ホラズムはエルサレムに侵攻し、キリスト教の教会を破壊し、教徒を虐殺、残った人はアッコなどに逃れた。
アル・サーリフはさらにダマスカスを襲おうとするが、ダマスカスはキリスト教と手を結び、おかしな決戦が実現した。しかしやはりこの連合はうまくいかなかったか、エジプト側が勝ち、最終的にエルサレムはエジプトの支配に戻ってしまう。ホラズムは約束されたダマスカスがもらえず、エジプトと戦争したが、さんざん利用されたあげくここで滅ぼされた。
エルサレムの再陥落と破壊は、欧州に連絡された。グレゴリウス9世の死後混乱していたヴァチカンは、1243年インノケンティウス4世が教皇となり、十字軍がよびかけられた。皇帝フリードリヒ2世はハナから除外。頼りとするはフランスのルイ9世である。
下はレバント(シリア、パレスチナ)に入るモンゴル
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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