第7回十字軍3-カタリ派最後の砦陥落

遂にアルビジョワで異端審問への反発が爆発した。1241年5月、アヴィニョンで審問官ら11人が住民に虐殺された。反乱の火の手はあちこちにあがった。実はトゥールーズ伯レーモン7世は、仏王だけでなく、次女エレノアールを英王ヘンリー3世と結婚させていた。エレノアールは王冠ではなくティアラを被り彼女が広めたのである。

英王は、レーモンら南仏諸侯の要請で、議会の反対を押し切りフランスに出陣、レーモンらも呼応して反乱を起こした。しかしすでに親政を始めていたルイ9世が宣戦すると、仏諸侯は次々に王の側に入り、英軍諸侯も帰国、ヘンリー3世は仏王自ら出陣したタイユブール、サントで敗北して帰国を与儀なくされた。

レーモンは敗北を認め、ルイ9世にひれ伏した。南仏の反乱は失敗し、英王はガスコーニュ以外の領地を正式に放棄して、仏王に臣従を誓った。そして43年、ついにカタリ派最後の要塞モンセギュール包囲が始まった。

翌年3月、要塞は降伏し、中に居たカタリ派残党への最終審問が行われた。全員異端放棄を拒否、224人は山の麓で火刑に処せられ、次々に火の中に投げこまれた。最後に痛ましい犠牲を出して、アルビジョワ戦争は鎮圧されたのである。

下は今も残るモンセギュール城塞の跡

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。