摂政となったブランシュは、アルビジョワ戦争終結に動き出した。だって彼女はアリエノールの南仏の血が入り、トゥールーズのレーモン家とは親戚なのだから。そこで王弟ポワティエ伯とレーモン7世の一人娘ジャンヌが婚約。王家はこれで南仏まで手を伸ばすことができた。
思えばアリエノールが仏王ルイ7世と離婚したのがややこしくなった原因、ずいぶん遠回りをしたものである。そして1229年11月、ヴァチカンは堂々とトゥールーズに入城して公会議を開いた。そこで決まったのがあの悪名高き「異端審問制度」である。住民は異端を告発する義務を負った。
とはいえ当時は、きちんと弁論の機会を与え、証拠を重視し、その後の裁判制度の基となった。火刑になるのは首謀者だけだった。そして32年この審問官となったのがドミニコ会他説教修道会で、「主の犬」とあだ名をつけられる。そして同時期にカタリ派はモンセギュールに城塞をつくってそこに潜む。まだまだ消火には遠かったのである。
少年王ルイ9世にはあちこちから叛旗があがったが、摂政ブランシュはあるときは戦の先頭に立ち、あるときは「女の武器」を使い、我が子のために、フランスを守ったという。実に母は強し。
下はフランシスコ会の異端審問
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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