世界大戦へ3-日英同盟締結

ヴィクトリア朝が終って1年後の1902年1月30日、日英同盟が締結された。19世紀イギリスの「光栄ある孤立」はここに終わりを告げたのである。西洋列強が植民地獲得に熱をあげ、世界各地で反乱が起こり、広がりすぎた大英帝国はそれに対処できなかった。義和団の乱では、ボーア戦争のために兵を送れなかった。

ロシアはフランスと露仏同盟を組み、日清戦争の賠償金を清国に貸すことで、新たな中国での権益を広めつつあった。そして義和団の乱で出兵したロシアは満州を占領し、終息後も撤兵せず挑戦をもうかがう構えを見せた。このことは朝鮮を保護国とした日本にとって大きな問題となった。

ロシアとイギリスは中央アジアをめぐって「グレートゲーム」を繰り広げていた。しかし日本政府とは幕末より関係が深く、特に義和団の乱で、日本はイギリスの了解のもとで中国に大軍を送り、イギリスと連絡を欠かさず北京占領を成し遂げた。イギリスは好感を持って当然である。

日英同盟は紀元節の翌日に発表され、天皇賛美と共に各地で祝賀会が開催された。都新聞はその熱狂を「痴態」とまで表現している。大隈重信は、「日本の実力は東洋のバランスを制し東洋問題について至大の発言権を有するに至れり。今後は歩を進めて世界の大問題についても発言権を求めざるべからず」と演説した。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。