近代アジアの動乱50-厦門進駐事件

第二次世界大戦と同様に、当時の日本も北進論と南進論があった。朝鮮から満州へ進行するとロシアとまともにぶつかる。台湾を得た日本はその対岸の福建省に進行するという路線もあった。首相山県有朋は、1900年8月20日に「南進経営論」という意見書を提出していた。

そんな頃18月24日、厦門の東本願寺布教所が焼失するという事件が発生した、この事件も謀略の可能性が否定できない。そして26日、さっそく居留民保護を名目として軍艦2隻から厦門に進駐する。そして台湾総督府からも陸軍を派遣するよう要請を出した。あわよくば厦門を占領できる。

ところがこの厦門進駐は、英米仏から強い抗議に直面した。特にイギリスは、軍艦より水兵隊を上陸させ、断固とした姿勢をとった。山県内閣は予想以上の抗議に直面して、現地部隊の独走ということで、厦門に進駐した軍を引き揚げるよう命令を出し、計画は頓挫した。

実は厦門には義和団と呼応して台湾恢復の檄文が貼られていた。列強のみならず、地元の感情も良くなかったのである。日本は今度は樟脳の開発事業を行おうとするが、これを日本の専売にするのにまたまた各国から反対が起こった。結局厦門事件の失敗は南進政策を頓挫させた。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。