1898年、マーラーは念願のウィーン宮廷劇場芸術監督に就任した。彼はこの地位を得るために、あちこちの人に推薦してもらうよう運動した。推薦者としてブダペスト音楽・演劇アカデミー院長にも手紙を書いたが「困っていることが2つあります、反対妨害する人が大勢いること、そして私がユダヤ人ということです」と書いている。
そこで彼はユダヤ教からカトリックに改宗した。もともとユダヤ教には熱心でなく、グレゴリオ聖歌が好きだったというマーラーは、そんなに執着がなかった。そしてカトリックになったことで芸術監督になれたのである。
子供の頃何になりたい、と聞かれたマーラーは、何と「殉教者」と答えた。95年に作曲された交響曲第二番「復活」にはその精神が込められている。「私が勝ち取った翼で私は飛び去っていこう 生きるために死ぬのだ」マーラーは、それから音楽のための殉教者をめざして戦いぬこうとする。
ところがそのウィーン市長たるや、反ユダヤを旗印にして当選したカール・ルエーガーだった。皇帝フランツ・ヨーゼフは、彼の市長就任を認めなかったが、彼の政党キリスト教社会党が国民選挙で大躍進して認めざるを得なかった。市長になるや彼はユダヤ人富豪にも愛想をふりまいたが、民衆の反ユダヤは残ったままで、後のヒトラーも彼を真似ることになる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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