ロマン派以後7-クララとブラームス死す

70歳を過ぎたクララ・シューマンに最期の時が迫っていた。1891年3月12日を最後に彼女は演奏会を止めた。そしてブラームスと共に、亡き夫シューマンの全作品を発表した。この収入はどんどん増え、年間1500フランになった。シューマンがいろんなところで演奏されているのに妻は喜ぶ。

1895年10月、不意にブラームスがやってきて彼女にピアノを弾いてくれとせがんだ。実にクララはブラームスのためだけに弾いたのだ。そんなことは何時以来だろう?ブラームスは上機嫌で帰っていったが、それが二人の会った最後となった。娘はブラームスに、クララがそう長くないと手紙に書く。

96年5月20日、クララ・シューマンは息を引き取った。ブラームスは危篤の報を受けて慌てて列車に飛び乗った。が、それはウィーン行きの列車であり、遠回りになってボンの夫シューマンの墓に棺を入れる直前にようやく間に合った。まったくこの2人の関係を象徴するかのような出来事だった。

ブラームスはこの後ルター版聖書の詩による「4つの厳粛な歌」を作曲した。第3曲は「死よ汝はなんと痛ましいものか」というタイトルがつけられ、終曲の最後の節に「愛こそが一番尊い」と書かれている。彼はクララの死から1年後に世を去った。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。