第6回十字軍7-フランチェスコ聖痕を受ける

兄弟レオーネはフランチェスコに覗きが見つかって追い返されてしまった。9月14日の聖十字架の祝日、師は帰ってきたが、様子がおかしい。師は隠そうとしているが、あちこちから血が流れているので、治療をしなければならない。皆が師の身体を診ると、なんとキリストと同じ両手両足脇腹から血が流れていた。

嫌々ながらフランチェスコが説明するには、彼が主の十字架の苦しみを受け、罪びとへの神の愛を願ったということだ。すると天使が現れて聖痕を着けたという。しかし身体の苦痛とは逆にフランチェスコは解放感に満たされ、「頂いたお恵みへの感謝のために」という詩をつくった。

「聖痕」現象は、現代に至るまで確認されている。19世紀には福者エンメリックに現れ、20世紀には聖ピオ神父にもあった。ニセ者も多々あるが、医学的治療が効かないものもある。脳の思いこみが身体に影響して現れるという説もある。カトリックは聖痕のみを認定することはしていない。

さて、天界では「やーミカエルちゃんご苦労様」「いいんスか?イエス様あんな印あげちゃって」「まーあんまりマジに祈るもんだからさー、ついね」「あんまりやっちゃうと皆欲しがりますよ」「わ、わかってるって。今回は特別だから」「どーせまたやっちゃうんでしょう、甘いんだから」

下はジョット作「聖痕を受ける聖フランチェスコ」

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キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。