近代アジアの動乱39-英仏の東南アジア分割

19世紀帝国というのは本当に欲深である。ヴェトナムを植民地化したフランス、インドを植民地としたイギリスはその間のインドシナ半島を狙って進出する。1886年英緬戦争に敗れたミャンマーは、インドに編入されて植民地となった。フランスはその年ルアンババーン条約をタイと結びラオスに進出した。

その後ラオス地域の宗主権はヴェトナムにあり、つまり現在はフランスが持っているという論理で、ラオス地域に軍隊を進駐し、タイ軍の駆逐を計る。その結果お決まりのように軍事衝突が起き、フランス人将校が殺されたことで、フランス世論は国際法違反と騒ぎ、タイに軍隊を送り込んだ。

1893年7月13日、フランス軍艦2隻がパークナムで戦闘に入り、タイはそれなりに近代化していたが、フランス軍には歯が立たず敗北し、タイはメコン川東岸をフランスに割譲し、タイのフランスに対する関税自主権を放棄した。そして99年にラオスはラオスを植民地化する。

東からはフランス、西からはイギリスが迫り、タイ王国に危機が迫った。メコン川上流では、フランスとイギリスが川を挟んでにらみ合う事態も発生、ここで1896年英仏両国はメコン川上流域に関する共同宣言を発表し、タイは両国の緩衝地域として独立を保つ。しかし列強が植民地の境でにらみ合う時代が始まった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。