ロマン派以後1-ユダヤ人音楽家マーラー

1888年、ユダヤ人指揮者で作曲家のグスタフ・マーラーが若干28歳でブタペスト国立歌劇場の音楽監督に就任した。彼はここでブラームスをして「理想的なドン・ジョヴァンニを聴きたければブタペストに行け」という評価を引き出し、敬愛するワーグナーを演奏して評価を高めた。

そしてなんとオペラの言語を全部ハンガリー語にした。これは当時のナショナリズムの影響を受けてハンガリー国民オペラの確立をめざしたのだが、さすがに一流歌手が歌えないとの苦情が出るようになり、本人もやりにくくなっていく。しかし聴衆は喜んだようである。

マーラーは演奏に熱中して少しのミスも許さないという癖があり、楽団員の反発を呼んだ、しかし反ユダヤ主義の影響も大きかった。メンデルスゾーンを音楽祭の中心曲にしようとしたところ、「偉大なドイツ人をさしおいて、ユダヤ人を中心にもってくるのはけしからん」と上司に言われた。

89年に交響曲第一番「巨人」が完成したが、初演はいい評価が得られなかった。そしてこの作曲に時間をとられることで、ますます総支配人はマーラーを攻撃するようになった。さらに母と妹を亡くし、彼は交響曲第2番を「葬礼」として着手した。結局10年契約にもかかわらず、2年で歌劇場を辞めた。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。