1882年パリ証券取引所の株価が暴落した。フランス第三共和制は、首相リレーで穏健共和派の政権が続いた。しかし国内での投資は進まず、工業生産ではアメリカとドイツに抜かれて第4位に転落、投資はもっぱら国外に向けられ、植民地獲得に奔走して、フランスは「ヨーロッパの高利貸し」と言われた。
この不況で、国内の不満が高まるが、左派も右派も分裂状態でまたもやうっぷんが残る状況、清仏戦争の失敗でフェリー内閣がつぶれ、1886年にフレシネ内閣ができると、一般兵士のための軍制改革で国民の人気が高かったブーランジェ将軍が陸軍大臣として入閣した。
国民は「ブーランジェ(パン屋)が我々を食わしてくれる」と熱狂する。そしてブーランジェは対独強硬論を主張して、アルザス・ロレーヌを奪還したい国民の願いにも応え「復讐将軍」の名を得た。彼の人気を恐れてパリから更迭されるが、出発するリヨン駅には1万人が集まるほどだった。
ブーランジェは王党派やボナパルティストと接近し、1888年に選挙で圧勝、「議会解散、立憲議会、憲法改正」を訴える。1889年1月、ブーランジェの支持者達は、エリゼ宮まで大行進を行い、その余勢で権力奪取と独裁を策図するが、本人が実行をためらったため失敗、共和制は首の皮一枚でつながった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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