近代アジアの動乱36-日清の長崎事件勃発

1886年8月1日、清国の北洋艦隊の4隻が長崎に来航した。目的は修理と日本への威圧だった。清国にはこの大艦を修理できるドックがなく、また日本にはこれだけの艦船をまだ備えていなかった。ところが清国艦の水夫たちが勝手に上陸して市内で婦女子を追いかけ、丸山の遊郭で暴れたりした。

長崎の巡査がさっそく出動、首謀者2名を逮捕した。ところが30名が交番を取り囲む。清国領事も出動して、上陸するなら監督士官つきということで収まった。が、翌日300名の水夫が上陸して今度は警官、市民を交えて乱闘になり、水夫3人、警官2人が死亡するという事態となった。

この長崎事件は、井上薫外相と清国公使の話し合いとなり、自国の法律で裁くことで一旦決着、そして今後は上陸規則を定め、相手側の法律に従うことで最終決着した。日本はまだ国力が足りず穏便に事を収めたのだ。

しかしこの長崎事件は、清国に対し日本海軍の劣位を明らかにして、その後日本の海軍が充実していく契機となった。またこの後も2回ほど清国軍艦が来航、今度は友好的に日本側に軍艦に乗船させた。が、それは清国軍艦の構造や士気の低さを日本側に公開することになり、日清戦争での清国敗北につながってゆく。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。