ロマン派の時代66-サンサーンスロシア外交

1875年フランスのサン=サーンスがロシアを訪問した。アレクサンドル2世の時代にロシアは西欧音楽を招聘し、ワーグナーもモスクワを訪問している。西欧音楽の取り入れの成果は、チャイコフスキーによって花を咲かせる。そしてフランスの代表サン=サーンスはフランスにチャイコフスキーを招いた。

そして1887年再びサン=サーンスはロシアを訪問した。このときに披露されたのが、デンマークとロシア民謡による奇想曲である。実は、皇帝アレクサンドル3世の皇后マリア・フョードロブナはデンマーク王家の出身である。デンマークは積極的にヨーロッパ王家との縁談をまとめ、クリスチャン9世はヨーロッパの義父と呼ばれた。

彼女はダウマーと呼ばれ、兄ニコライの婚約者だったが、彼は婚約中に亡くなってしまい、弟にこの婚約を引き継ぐように遺言した。ダウマーはロシアを好きになっており、1866年皇太子アレクサンドルとダウマーは結婚。彼女はロシア正教に改宗してマリア・フョードロブナとなった。

皇后に捧げたサン=サーンスの曲は、デンマーク民謡を基調として途中でロシア民謡が出て来る作曲者らしい才気あふれる曲だが、その中で、皇后の姉が嫁いだイギリス民謡も出て来るという凝りようである。皇后は、ニコライ2世の皇太后となるが、ラスプーチンの処遇で対立し、渡英。息子の死を聞くことになる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。