ベルエポック41-ルートヴィヒ2世死す

1885年、バイエルン王ルートヴィヒ2世の宿願、ノイシュヴァンシュタイン城に居住ができるようになり、王はミュンヘンには戻らず、ここに居住するようになった。ワーグナーの死後、王の孤独と空想癖はますます強くなった。しかし完璧を求める王の要望で、工事費は2倍に膨れ上がり、宮廷の借金はかさんだ。

なんとルートヴィヒは、リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城の建設を開始し、さらにさらに壮大なファルケンシュタイン城を計画し、中国風の城も視野においていたという。資金援助の情報も王に知らされず、政府内部で密かに王の廃位計画が進んでいたとしても驚くにはあたらない。

1886年6月8日、「王は精神錯乱がひどく少なくとも統治は無理である」という医師の鑑定書が提出された。さっそく委員会がつくられ、ノイシュヴァンシュタイン城に居た王はすったもんだのあげくベルク城に幽閉された、この騒ぎの間、王は冷静で狂人らしい態度はまるでなかった。

王は委員会の一人で「鑑定書」を書いたグッテン医師の監視下におかれた。この城は湖の近くにあり、着いた翌夕2人は散歩に出かけた。ところがいつになっても帰らない、探しに行くと2人は水死体になって発見された。白鳥城の主は、ローエングリンの白鳥に迎えられてヴァルハラに行ったのだろうか?

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。