アルジェリアがフランス、エジプトがイギリスの手に落ちて、その中間のチュニジアが無事でおれるわけがない。チュニジアは19世紀から近代化政策をすすめ、1861年には憲法が制定されてイスラム初の立憲君主制国家となった。しかしこれは反発を呼び、近代化のための重税も相まって反乱が相次いだ。
近代化は挫折し、保守派が復活して憲法は停止、財政破綻で英仏伊銀行に財政が管理され、保守派はオスマンへの接近を図った。1878年、露土戦争講和のためのベルリン会議でフランスの優位が確定すると、1881年チュニジアへの鉄道敷設をめぐる問題でフランスはチュニジアに侵攻した。
侵攻はあっけなく、バルドー条約でフランスに外交権と財政権が渡る。しかし反フランスの反乱が国内で起き、フランスはこれを鎮圧、83年には改めてマルサ協定を結び、フランスが保護領化した。チュニジアは1270年に聖王ルイ9世が侵攻、1535年には神聖ローマ皇帝カール5世も侵攻したが、遂にヨーロッパの手に落ちた。
フランスはさらにコンゴやマリ、ニジェール、マダガスカルにも手を出し、イギリスに対抗して、北から中央アフリカに広大な植民地をつくることになった。イギリスのアフリカ縦断に対して、アフリカ横断計画と言われ、やがて英仏は衝突することになる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント