第4回十字軍19-戦争と平和の間で来たる者

カタリ派に対して教皇インノケンティウスは和戦両用でさまざまな手を使った。トゥールーズ伯レーモン6世、あるいはナルボンヌ大司教に異端の取り締まりの強化を要請したが、カタリ派はこの地の奥深くまで入っており、縁戚にもカタリ派が居て誰も動こうとしなかった。

地元がまるで頼りにならないと知った教皇は、仏王フィリップ2世に殺人の罪を赦すと十字軍を要請したが、これも無視された。仏王としてみれば、君主と諸侯の関係にヴァチカンを入れたくなかったのも当然である。無茶をして封建関係を壊せば他の諸侯に影響するのだ。

平和路線のほうはというと、教皇は3人の特使を任命して何カ月もこの地方を練り歩かせ、説教し、討論させた。が、いっこうにらちがあかない。とうとうそのうちの一人が「修道院に帰らせてくだされ」と音をあげてしまう始末だった。それどころか彼らへの敵意はますます強くなった。

身の危険まで感じた3人は、正統派の残された拠点モンペリエから動けなくなった。1206年、3人はいよいよ辞表を書くしかないと思った。ちょうどそこへ、神の助けか、2人の聖職者が旅の帰りにそこに到着する。その一人はドミンゴ・デ・グスマン、後の聖ドミニコである。

下は美しい若き聖ドミニコ

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。