実はロシアのオスマン侵攻をそそのかしていたのはドイツの宰相ビスマルクである。欧州列強の一つとなったドイツは、列強各国から警戒される地位となった。そこでロシアとオーストリアにオスマンの領土を与えることで、警戒を緩めようとした。イギリスにもエジプトを与えてドイツに向かないようにしようとする。
1789年、ビスマルクは保護関税を導入する。ドイツの農業はロシアやアメリカの安い農産物に遅れを取っていた。また大不況下においてドイツ国内で勃興してきた工業を守る必要があった。自由貿易は、アダム・スミスやロックの自由論のもとで優勢となったが、ナショナリズムが取って代わる。
一方でビスマルクは、社会主義者鎮圧法の代わりに、上からの労働者保護を行ってゆく。1881年には労災保険法案を提出、疾病保険法、老齢廃疾保険法などをつくり、国民皆保険を初めて創出した。この政策はいわゆる「飴とムチ」と呼ばれているが、これは批判する立場から名付けられた。
ビスマルクは、自分の利害関係から動いただけかもしれないが、結果として、国の産業を保護し、また労働者と資本家を仲裁するという、近代国家の形をつくったのである。この機能により、資本主義国家は労働者との対立で破綻することなく、産業を発展させて20世紀を生き延びることとなる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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