ロシアがバルカンに介入した口実は、スラブ民族の救済である。しかし南スラブ人とロシア人につながりはない。あるのはキリスト教正教という宗教的つながりだった。正教の首座はコンスタンチノープルに存在したが、ロシアは正教の救済者を自任していた。
このころのロシア思想には西欧派とスラブ派があった。スラブ派は、ピョートル1世からの西欧化を否定してスラブ独特の共同体に回帰せよという。西欧が個人主義や拝金主義そして社会の分裂したのに対して、スラブには正教会を中心とした「万人は万人のため」という共同体があるというのだ。
さらにスラブ派はもっと過激な者も現れ、カトリックやプロテスタントの西方キリスト教は、ローマ的異教に毒されて正当なキリスト教ではない、とまで言う。そしてロシアが自分自身に目覚めるとき、周辺のスラブ世界を照らし、その光は西方に達する「光は東方より」である。
あれほど神と人間を深く考えたドストエフスキーでさえ、スラブ派に影響され、露土戦争をイスラムからスラブを救う「聖戦」と考える。彼はヨーロッパ列強の勢力争いを認識しているのだが、スラブ派のように西方キリスト教の悪と考える。そして彼もロシアを救済者として希望したのである。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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