統一したドイツ社会主義労働者党は、1877年の選挙で50万票を獲得し、12議席を得た。翌78年ブリキ職人マックス・ヘーデルが、皇帝のパレード中に発砲するという事件が起こる。この男は元社会主義労働者党の党員で、ビスマルクはこの事件を利用して議会に社会主義者鎮圧法を議会に提案した。
このときは国民自由党が反対にまわり否決。しかし6月2日、今度は本当に皇帝が重傷を負ってしまう。この犯人は、特定の思想をもたなかったが、法案を可決しない議会は必要ないとばかり議会を解散してしまった。マスコミは社会主義の恐怖を煽り、保守政党が勝利、社会主義者鎮圧法が成立した。
この法律によって社会主義系と見なされる組織は集会や出版が禁止され、1500名が禁固刑に処せられた。しかし普通選挙のもとで選挙権をはく奪することはできず、また議員も免責特権を保持していた。こうして労働者党は生き続け、1890年にはなおも社会主義鎮圧法は続いていたが140万票を獲得する。
同年労働者党はドイツ社会民主党(SPD)と改名して、1912年の選挙では第一党に躍り出る。第二インターナショナル最大の政党となった。ところが帝国選挙で勝利しても、ドイツを支配するプロイセンが厳しい制限選挙のため、議席が取れない。やがて20世紀の帝国主義戦争をめぐって分裂する。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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