ロマン派の時代61-ブラームス交響曲1番

ワグナーは絶頂だったが、親しい者からは「バイロイトは友情の墓場だ」と言われたらしい。「もうたくさんだ」とこのときは崇拝者のニーチェは言い、親しい指揮者ハンス・フォン・ビューローも彼を離れ、向かった先が絶対音楽派の教祖扱いされていたブラームスのもとだった。

クララ・シューマンはワーグナーの音楽を嫌悪していた。「トリスタンとイゾルデ」を聴いて「一晩中こんなバカげた音楽を聴いていなければならないとは」と腹を立てている。この楽劇は終始不倫だが、してみるとクララはやはりブラームスと不倫関係はなかったのだろう。

そして1876年11月4日、待望のブラームス交響曲第1番が初演された。派を移ったハンス・フォン・ビューローは「ベートーヴェンの第10交響曲」と絶賛した。実際ブラームスはベートーヴェンを意識する余り、決して遅筆ではない彼が完成まで21年の歳月をかけてしまった。

クララ・シューマンは有頂天だった。それはこの交響曲がシューマンの交響曲第二番を意識した部分があるからである。彼女は57歳、夫の死からちょうど20年、そしてブラームスと会ってからも20年である。ブラームスはますます人間嫌いになっていったが、「世界で誰よりも愛しています」とクララに手紙を書いた。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。