ロマン派の時代59-展覧会の絵キエフの大門

1874年ムソルグスキーの「展覧会の絵」が作曲された。ムソルグスキーは、生計を下級官吏として立てていたが、「ロシア5人組」として存在感を高め、71年には今では傑作とされるオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」を作曲、73年にマリンスギー劇場で演奏されて聴衆には好評を得ていた。

「展覧会の絵」は、友人の画家ヴィクトル・ガルトマンの死去を悼んで作られた。ガルトマン夫人の支援を目的としてペテルスブルク美術アカデミーで約400点の遺作を集めて展示会が行われた。ムソルグスキーは、そのうち10点を選んでその印象をピアノ曲にした。

「展覧会の絵」のフィナーレは、壮大なムードの「キエフの大門」である。キエフの黄金の門は、1037年キエフ・ルーシのヤロスラウ賢公が建設した町の防衛の門である。しかし1240年のモンゴルの侵入で破壊された。キエフはその後ポーランド王国に組み入れられ、1648年に自治権を得て栄えたが、1654年よりモスクワ大公国に編入されたが19世紀より自立運動が盛んになる。

1832年にこの門が発掘され、69年に再建計画がもちあがり、ガルトマンも応募した。この頃にはロシア帝国はウクライナはおろか中央アジアにまで進出している。ガルトマンの設計図は門というより教会のようだ。ムソルグスキーは、音楽でガルトマンの夢を表現し、彼の鎮魂の想いを込めた。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。