ロマン派の時代56-ウィーン黄金ホール

ウィーン都市改造の目玉といえるのが今日ウィーンニューイヤーコンサートでおなじみ「ウィーン楽友協会ホール」である。このホールの建設を目的として皇帝フランツ・ヨーゼフ1世から1863年に土地が寄付されて建設が開始された。それまでのホールは700席だったが、このホールは一気に2500人収容できた。

1870年に完成されたこのホールのメインは「黄金のホール」と呼ばれる。まさに天井から壁から金ピカで、果たしてこんなに金ピカで音楽に集中できるのか、という危惧が出たほどだ。ともかくバブル時代を象徴するような豪勢さである。ある意味神殿のようだ。

対比されるパリのオペラ座(ガルニエ宮)は、まさにボックス席があり、オペラやバレエを優雅に見物できる。ミラノのスカラ座も同様である。ところが、黄金のホールは直方体をしており、ボックス席はなく、皆平等に椅子席に座らねばならない。コンサート用ホールである。

もちろん同時にウィーン国立歌劇場も誕生し、こちらはボックス席がついている。ウィーンのコンサートを引っ張ったのは実は、新しい帝国官僚達である。純粋音楽のシーンだけ、彼らは旧貴族達と張り合うことができた。しかしともあれ平民の音楽の聖地ができたのである。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。