いよいよ英雄サラディンの最期が近づいた、もはや54歳。最強の敵リチャードを防衛して、彼もホッとしたのか、死期を悟ったか、メッカ巡礼をしたいと言いだした。ところがこれにもバグダードのカリフから横やりが入った。メッカを巡礼して宗教的にも権威になられちゃたまらん。そこでそんな時期じゃないだろと不許可、いやお前が何をしたと・・・。
可哀想なサラディンはメッカ巡礼ができなかった。思えば彼は自分のしたいことをしたことがあっただろうか?彼はエルサレムに入り、イスラム復興に努力を尽くした。もちろんキリスト教巡礼者を暖かく迎え入れた。
その後ダマスカスに入ったサラディンは久々に家族と時を過ごした。ベイルートではアンティオキア公国のボエモンドと会い、何とかつての敵に1万5千ディナール相当の土地を贈った。どこまでも慈悲のある王であった。しかし翌1193年になると、彼は明らかに衰えを隠せなくなる。2月20日、メッカからの巡礼団の帰還を上着もはおらず観に行った。
その翌日、彼に黄熱病が発症してしまった。一時回復したときもあったが、熱は再び上昇し、3月5日崩御した。危篤時にクルアーンの詠唱が行われたが「アッラーのほかに神はなし、アッラーにのみこの身を委ねたてまつる」と謳ったところで、サラディンは微笑みを浮かべたという。何もかも譲ったサラディンが、亡くなるとき持っていたのは金貨1枚と銀貨47枚だけだった。
下はダマスカスの廟内の柩
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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