普仏戦争の影響はイタリアとヴァチカンに及んだ、今までローマを防衛していたナポレオン3世のフランス軍が居なくなったからである。教皇ピウス9世は、必死にヴァチカンの権威を復活させようとして1869年第一ヴァチカン公会議を開催した。このときに発表したのが「教皇不可謬宣言」である。
教皇不可謬は、なんでもかんでも教皇は正しいのではなく、教義などいろいろ検討したうえで宣言されたものだけであり、やたら使うものではない。ともかくピウス9世の言いたいのはヴァチカンを侵すべからずということだ。が、そんなことで通じる時代は多分ほとんどなかっただろう。
努力空しく公会議は普仏戦争で無期延期となり、70年9月20日イタリア軍はローマに進軍、10月2日にイタリア王国に編入すべきかの住民投票が行われ、その結果756年「ピピンの寄進」によって出来た教皇領は消滅した。教皇不可謬は何の役にも立たなかった。ある意味これが本当の近代の成立といえる。
イタリア政府はローマを首都と宣言し、ヴァチカンを残そうとしたが、ピウス9世はこれを拒否し、イタリア政府を破門、自ら「ヴァチカンの囚人」と呼んでイタリア政府と対決姿勢を取った。ひきこもったピウス9世はヴァチカンから一歩も出ずに、近代とますます対立していった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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