かつて自由主義教皇といわれたピウス9世は過去のものとなっていた。イタリア統一勢力は教皇領統合を迫り、教皇はナポレオン3世に守ってもらっていた。1852年の日本26聖人列聖式典には、全世界の司教を集めて教皇ここにありとデモンストレーションをしようとした。
そして1864年近代世界の「誤謬表」をまとめて発表した。この誤謬は80あり、近代合理主義哲学はまだしも、信教の自由まで誤謬としてしまったのはどうかしてると言われても仕方がない。教皇は、領地を守ろうとするあまり、近代世界に完全に背をむけてしまったと言われた。
そして今度は、近代世界に対抗するために300年ぶりに公会議を開催しようとした。その準備中に日本での信徒発見が伝わる。ルルドでの聖母出現などと共に、教皇は無神論的な近代世界から神の存在を守る自らの使命を強く感じたのは間違いない。信徒発見に教皇は涙を流し、広くカトリックに伝えた。
1867年には、またもや聖パウロ殉教1800年祭に全世界から多くの信者を集めようとした。ガリヴァルディは普墺戦争にも参戦し、ヴェネツィアの奪還に成功してからは、教皇領の武力奪還をしつように狙っていた。1867年にはいよいよ進攻を開始するが、メンターナでフランス軍に大敗してなんとか教皇領は守られた。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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