4月から始まった戦闘は、準備の整った政府軍に比べ、コミューン軍の分が悪く敗北を重ねる。するとコミューン委員と軍事代表委員クリューズレ将軍との軋轢が激しくなる、1789年フランス大革命の繰り返しである。またフランス銀行をそのままにしていたので、金は政府側に流れた。
1871年4月30日、結局クリューズレ将軍は解任され逮捕。そして5月1日には、ブランキ派のジュール・三オーの提案で、大革命と同じく5人の「公安委員会」が設置され、独裁権を持つことになる。しかしこれには少なくない反対があり、コミューン委員の中で分裂と軋轢が増大した。
公安委員会は軍事代表委員を飛び越えて軍に命令を下し、またもや代表委員は辞任、そうするうちに重要な拠点イシー砦が攻撃される。イシー砦をめぐる戦いは市民もまきこんだ本格的な市街戦となり、7日間激戦が続き、指揮官が死んでもコミューンは戦ったが、5月8日に陥落した。
5月8日には、政府軍は艦砲80門という巨大な砲台が完成し、防衛障壁を吹き飛ばす。そして5月21日には砲撃によってサン・クルー門が破損していることを政府軍のスパイが見つけ、そこから政府軍が大挙侵入した。ついにパリ・コミューンの最期の時が迫っていた。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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