仏行政長官ティエールはパリに来ていたが、将軍の殺害と大砲の撤収失敗を受けていち早く政府軍をまとめてパリを脱出した。彼は7月革命でルイ・フィリップが逃げ遅れたのを知っていた。パリ市長も脱出し、市庁舎には国民衛兵が入り、中央委員会はコミューン選挙をして代表を決めるよう声明を出した。
3月26日、選挙が行われて84名のパリコミューン政府ができた。28日には市庁舎の前で祝典が行われ、自由の女神像が祀られたが、その首には赤いスカーフが巻かれていた。社会主義者達はついに労働者が主体となる理想が実現したと感激したが、実態は寄合所帯だった。
コミューンはさっそく、おしゃべりする議会ではなく行動する人民政府として婦人参政権や生活保障などの活動を開始した。マルクスはこれを非常に評価して社会主義国家に引き継がれる。しかし国民衛兵はさっさとヴェルサイユに進軍すべきだったと批判している。
事実、政府軍のほうは秩序が崩壊しており、ティエールが恐れていたのはパリからの進撃だった。しかしこの余裕でマクマオン元帥を司令官として、ロワールや北部からの帰還捕虜で構成された5万人以上の軍隊が再編成された。すでに4月から小競り合いが始まって戦闘は待ったなしだった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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