父ヘンリーは息子若ヘンリーを共同王とした。そして妻アリエノールの離婚(結婚無効)申請をヴァチカンに提出した。しかしこれは子供達、とりわけアキテーヌで、アリエノールの理想として育てられたマザコン次男リチャードの反発を招き、勝手に行動するようになった。
1177年何と離婚は却下された上愛人も死ぬという父ヘンリーダブルショック。悪縁の3人の内で一番年上の仏王ルイ7世は、息子フィリップに譲位を決意。ところが79年息子が重病に罹った。王の夢枕に死したトマス・ベケットが立ち、ルイは英国に渡り墓参りを決意。ベケットの墓前には、幽閉されたアリエノールも含め、因縁の3人が集ったが、これが最後であった。
祈りのかいあってかフィリップの病気は快癒。11月1日、フランス王権を確立した尊厳王フィリップ2世が14歳で即位し、翌年ルイ7世は崩御した。そして息子は何と、父のライバルだったヘンリー2世を後ろ盾にして、自分に逆らう諸侯を次々に落としていくのである。
一方、英国ではリチャードが若ヘンリーへの臣従を拒否。82年リチャード討伐にアキテーヌへ軍をすすめた。ところが翌83年若ヘンリーは、28歳の若さで病死。順当では筆頭のリチャードが王位を継ぐはずだが、マザコンの彼に簡単に継がすわけがない。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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