帝政が崩壊したとき、皇后ウージェニーはあくまでパリに残ろうとした、それはどちらかというと息子のためである。皇后は、からくもチュイルリー宮殿を脱出し、知己だったアメリカ人医師宅に逃げ込み、変装して辻馬車でパリを脱出し、夫皇帝より一足先にロンドンに亡命した。
まるでマリー・アントワネットの逃亡劇のようだが、実はウージェニーは、アントワネットファンで、自分の運命を彼女に重ねていた、二人とも外国生まれでフランスに嫁いだからである。彼女の母も結婚に際して「アントワネット様の運命をたどるのではないか」と心配している。
そして彼女は、アントワネットの遺品を買い集めた。フォンテーヌブロー宮に居るときは、アントワネットの小部屋に居て、そこにお風呂まで作った。彼女と同じようにファッションリーダーになり、「モードの女帝」と言われた。ルイ・ヴィトンを流行らせたのも彼女である。
しかしアントワネットと同様に、嫉みの対象になった。2度の流産をしたときは、マスコミから叩かれた。ナポレオン3世は女好きで浮気を繰り返し、ようやく男子を生んだときはホッとした。彼女の逃亡はなんとか逃げおおせたが、民衆はやはり「スペイン女を殺せ」と言った。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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