「エムス電報事件」でフランスの世論は沸騰した。なんとこの日は革命記念日である、フランスの誇りが刺激される、さらに自由帝政によって言論の自由が拡大されていた。しかし「帝国は平和」と言ったナポレオン3世は戦争をやりたくなかった。持病の膀胱炎が悪化していたし、兵員は準備不足だった。
一方のプロイセンのビスマルクは、戦争をやりたかったわけではないだろうが、その準備はしていた。何よりも戦争のプロのモルトケがこの日に備え、フランス向けて線路を6本も敷設していた。当時戦争の総合計画を行う参謀本部はプロイセンだけが持っていた。
仏宮廷では、皇后と首相エミール・オリヴィエが急先鋒で、7月15日に戦争予算を提案すると議会は圧倒的多数で可決、首相は「この責任を軽い気持ちで引き受けましょう」と言った。そして19日には、宣戦布告書をベルリンでビスマルクに手渡した。フランスはナポレオンのようにベルリンを占領する気だった。
ナポレオン3世得意の外交的根回しにも失敗していた。プロイセンと対立するオーストリアは、メキシコ皇帝マクシミリアンを見捨てたことを根にもっていた。一方プロイセンは、北ドイツ諸侯だけでなく、南ドイツ連邦特にバイエルン王国まで味方に引き込むことに成功した。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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