帝国の時代40-エムス電報事件

名誉革命を行ったスペインでは、セラーノ将軍のもとで臨時政府が結成され、普通選挙、国家と教会の分離など自由主義的な憲法が制定された。そして君主選びに入る、このとき候補にあがったのはホーエンツォレルン家のレオポルトだった、彼はカトリックだが、プロイセン王の縁戚である。

ビスマルクはこの縁談を積極的に押し、ナポレオン3世もそんなに異存はなかった、レオポルトはナポレオンの皇后ジョセフィーヌの血縁であり、プロイセン王より近い。ところが仏世論は猛反対した、曰くカール5世のハプスブルクのようにフランスは挟撃されるというのだ。

仏宮廷でも皇后や外務大臣が反対し、フランスの普大使は、普王ヴィルヘルム1世に、レオポルトの西王を断念するように要請し、普王も熱心ではなかったので、レオポルトに断念させた。ところが猜疑心にかられている皇后らは、普王にさらに西王擁立に介入せぬ確約を取れと命じた。

普大使は普王とさらに会談、さすがに普王は不快感を感じたが、この状況をビスマルクに伝えた電報を、ビスマルクはフランスが不当な要求をしてきて、国王はフランス大使に会うのを拒否された、と新聞に公表したのである。これが世に名高い「エムス電報事件」である。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。