帝国の時代35-パリ改造完成エトワール広場

欧州情勢が激しくなる頃、なんとナポレオン3世は、1867年に「第二回パリ万博」を行った。この勅令は63年のロンドン万博の後に出されたというわけだが、その頃の皇帝には、イギリスに追いつき追い越せとばかりの意気込みで、プロイセンなどまるで目に入っていなかった。

そしてオスマンのパリ大改造も、いよいよ山場を迎えていた。その象徴たるエトワール広場は、凱旋門を中心に直径240mの巨大な広さを持ち、12本の道路が放射線状に延びるという超モダンなものである。そして直線好みのオスマンと曲線好みの皇帝との合作といえ、将来のパリの姿を夢想していた。

そしてパリ万博に間に合わせるため突貫工事で行われたのがパリオペラ座、これを設計したシャルル・ガルニエの名をとってガルニエ宮とも呼ばれている。残念ながら完成はパリ万博には間に合わなかったが、足場を取り外し、その壮麗なファザードを見せることはできた。

パリ万博は、シャン・ド・マルスの14万6千㎡の楕円状の大展示場を作り、7つの回廊が同心円状に広がる構造となっていた。また中心から放射線状に展示品が国別に展示され、売店もレストランも娯楽施設もあるフェスティバルのムードも取り入れ、その後の万博のモデルとなった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。