帝国の時代30-出兵失敗、墨皇帝処刑

フランスは増援を送り、一人でメキシコに侵攻、63年7月7日にメキシコシティを占領した。しかしメキシコはゲリラ戦を展開、おまけに気候が違って病気にも悩まされた。しかし予定通りというか、フランス軍は7月10日、メキシコ帝国復活を宣言し、暫定政権をつくった。

ここでメキシコ皇帝に白羽の矢を立てたのは、オーストリア皇帝の弟マクシミリアン大公だった。墺皇帝は反対で、本人も熱意に乏しかったが、夫人の説得や、フランスが状況が安定するまで駐留を続けるという約束もあり、逡巡の末ようやく承諾し、約1年後の64年5月21日に入墨した。

マクシミリアン新皇帝は自由主義的で、カトリック保守派よりも自由主義派を好んだが、自由主義派は他国から来た皇帝を認めるはずがない。そして地の利のある共和国ゲリラはしぶとかった。フランス軍はヤル気に乏しく、メキシコ貴族の娘と結婚した将軍が皇帝の地位を狙うというありさまである。

そして南北戦争の終わったアメリカは、仏軍撤退を要請した。派兵には世論の反対も強く、ナポレオン3世は掌を返してメキシコ撤兵を決めた。アフガンやベトナムのように外国の支援で成り立つ政府は弱い。見捨てられたマクシミリアンは67年6月19日に処刑された。この失敗は仏皇帝、西女王共に大きく影響する。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。