帝国の時代18-イタリア軍ローマ入城

イタリア北中部はサルディーニャ王国にヴェネツィアを残して統一された。しかし人民による統一をめざすガリヴァルディは、さらに統一をすすめるべく1860年3月「シチリア人へ」という檄文を出し、「千人隊」をもってシチリアへ上陸、しかしロクな装備もない隊は成功を危ぶまれた。

とき同じくして、島では反乱が発生し、千人隊へは多くの男が加入、5月14日にサレーミに到着したガリヴァルディは、ヴィットリオ・エマニュエーレ2世の名のもとシチリアの「コンスル」を宣言し、ヴェルディの「シチリアの晩祷」を音楽隊が演奏した。6月にはパレルモを市街戦の後に制圧する。

さらにガリヴァルディは、7月に本土に侵攻、破竹の勢いで8月7日にはナポリに入城した。さらに彼は、ローマを目指すが、下手するとローマの仏軍と衝突する恐れもある。そこでサルディーニャ王国のカブールは、ナポレオン3世と協議し、一足先に王国軍を教皇領に入れることにした。

ヴィットリオ・エマニュエーレ2世自ら南に進軍し、10月25日両者はテアーノで会見した。ガリヴァルディは、自ら征服した南イタリアを国王に献上し、「テアーノの握手」は愛国的美談となった。が、実際はガリヴァルディは渋々だったようだ。ともあれイタリアの統一は大きく前進した。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。