さて1147年、ドイツ、フランス軍を中心とする第2次十字軍はエルサレムに向かって進み出した。ドイツ軍が先頭でフランスはかなり遅れて続く、ルイの妻アリエノールは、アキテーヌ軍と胸甲をつけたアマゾネスのような女官を率いていたそうだ。縁起をかついで、第1次十字軍の通った道を行った。ブルガリアで、ビザンツと諍いがあったようだ、この殿で活躍したのが誰あろう、後のフリードリヒ1世バルバロッサである。
コンスタンチノーブルに着くと、ビザンチン皇帝は「ここからはイスラムが居るから危ないよ」と海路を推薦した。この言葉を侮辱ととったコンラートは断固陸路を行くことにした。ドイツは他にもまして武装を固めた重装騎士団をもっていた。
しかし、セルジュークはもう対策済。重装はフットワークでかく乱すべし。それにイスラムも学び、武装はかなり強化されていた。「やはり金属はヨーロッパもの」ということで、十字軍国家にいるイタリア商人を通じて買っていたのだよね、東西交流の成果である。そしてビザンチンは中立の密約をしていたのだ。
ということで、コンラートはあの第1次で勝ったドリュラエウムで待ち伏せ攻撃にあってセルジュークの雪辱戦の犠牲となって惨敗を喫した。皇帝コンラート自身も重傷を負ってニケーアに逃げ込み、フランスのルイと合流した。コンラートは、傷の治療のためコンスタンチノープルに戻ることとなった。フランス軍もセルジュークに悩まされ、結局アンティオキアまで船に乗った。
下はギュスターブ・ドレ作「待ち伏せするセルジュク」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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