第2回十字軍5-北方、ポルトガルに十字軍

第2回十字軍は、イスラムだけではなかった。ザクセンなど北方諸侯はわざわざイスラエルに行く気はしなかった。そこで1147年の帝国会議で、北の異教徒をやっつけたい」と言ったわけだ。これに教皇がのって、スラブ人の一つヴェンド人への十字軍が結成された。もともとドイツ諸侯は侵攻しており、十字軍もそのきっかけにしたにすぎない。

ヴェンド人は、ユトレヒト半島より東の地帯に住んで、祖先の宗教を信仰してドイツ人の侵攻を跳ね返していた。首長ニクロトは機先を制してリューベック方面に戦端を開き、ドイツ・デンマーク連合軍との戦闘となった。デンマークは敗北して撤退後、ドイツは拠点のドービン要塞を包囲したが、長期にわたり結局形だけの改宗で撤退することになった。しかしこれは北方十字軍として、その後新たな歴史をつくる幕開けだった。

また南では、イスラム地域であったリスボン包囲戦が行われた。1139年にポルトガルがカスティーリアより独立、イングランドより出航した十字軍がポルトに漂着し、国王の頼みでリスボンを包囲した。そしてそれにスペインに来ていた十字軍が加わり戦闘が行われた。

1147年7月から開始された戦闘は、イスラムが食糧がなくなっても先端火器で頑強に抵抗した。10月、相当な高さの移動櫓が完成し、それまで掘りすすんでいた坑道の中に木材を詰めて燃やし、上下の総攻撃で城壁が崩壊。イスラムはそれでも火器で抵抗したが、遂に全面降伏、リスボンは陥落した。ただこの大都市にはキリスト教住民も多く、その後の十字軍の略奪ではかなりの被害を被ったようだ。

下はリスボン包囲戦

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