イタリア統一をめざすサルディーニャ国王ヴィットリオ・エマニュエーレ2世、そしてカブール首相は、ナポレオン3世の支持を取り付けるべく1855年のパリ講和会議の前に揃って英仏訪問を行ったが、成果は芳しくなかった。そこでカブールが考えたのが仏皇帝の大好きな女性である。
そこで白羽の矢が立ったのは、国王の愛人だったカスティリオーネ伯爵夫人である。56年から夫人はフランス宮廷に美しい姿態を見せたが、その頃皇后は妊娠中で、遂に3月17日に待望の男子が誕生した。義務は果たしたとばかり皇帝は堂々と浮気に走った。
カスティリオーネ伯爵夫人は羨望と嫉妬の的になった。しかしイタリア独立を支持する言葉は聞けなかった。とうとう57年4月、夫人のところから皇帝が出て来るところを、イタリアの急進活動家が襲った。この事件は、夫人が皇帝のスケジュールを明かしたに違いない、とライバルが吹聴して、夫人は遠ざけられる。
ところが、である。58年1月18日、イタリアのオルシーニ伯爵らが、手製爆弾で皇帝夫妻の爆殺を狙ったオルシーニ事件が発生する。オルシーニは獄中で弁護士に手紙を書き、イタリア独立の思いを法廷で訴えた。ナポレオン1世の頃イタリア人は皇帝のために戦った、と。これはフランス人の心を掴み、イタリア独立を支援する、まさに瓢箪から駒とはこのことだ。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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