近代アジアの動乱11-インドのジャンヌダルク

この大反乱で、「インドのジャンヌダルク」と異名を取った女性が居る。その名をラクシュミー・バーイー、元ジャーンシー藩国の王妃である。この国は、彼女の子供が夭折したため、王が亡くなってからイギリスに取りつぶされた。当時イギリスは小国のとりつぶし政策を推進していたのである。

1857年にインド大反乱が起きると、彼女にも反乱教唆の容疑がかかり、そして民衆の推戴を受けたラクシュミーは、ジャーンシーの執政となった。8月にはジャーンシー城に入城し、王国再建を宣言、民衆共々城に籠城してイギリス軍の圧倒的戦力と対抗するようになった。

この城はなんと半年も落ちず、英軍司令官も「彼らは王妃のため国の独立のために戦っているのだ」と感慨をもらす。落城後は落ち延びて反乱軍と合流した。そして彼女はグワーリヤル城を経略によって無血開城させてここに立てこもり、イギリス軍を慌てさせた。

彼女は58年6月20日に前線で指揮をとっていた最中に狙撃されて亡くなる。彼女は絹のブラウスと西洋式スボンを履き、ライフルを武器として単なる伝統主義者ではなく聡明であったらしい。インド独立のシンボルとして、彼女はその後も民衆に讃えられることになった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。