帝国の時代5-凄惨セヴァストポリの戦い

ロシア軍のヴァルカン半島への越境に対して、オスマン側はドナウ南岸に終結したが、徹底勧告に効果がないので、1853年10月、ドナウ川を渡河し、クリミア戦争が始まった。ロシアは待ってましたとばかり、南下を開始、同時にギリシャ義勇軍やヴァルカンのスラブ系種族の反乱が起きた。

ロシアの優位に焦る英仏は、なんとまあギリシャ支援の武器輸送船を撃沈するわ、ピレウス湾を封鎖するわで、ギリシャ義勇兵を阻止し、反乱をストップさせた。しかし黒海南岸のシノープに停泊していたオスマンの大艦隊を、53年11月、ロシアが奇襲で壊滅させる事態が起こった。

イギリスの新聞はこれを「シノープの虐殺」と書き立て、黒海をロシアの湖にさせるな、とアジテーションを行った。その結果英仏は54年3月28日ロシアに宣戦布告した。英仏オ連合軍は、ロシア黒海艦隊の拠点クリミア半島のセヴァストポリ要塞の攻略を目指した。

ロシアは、黒海艦隊の艦砲まで要塞化したため、連合軍は塹壕を掘って包囲戦をするしかなくなった。54年9月から始まったセヴァストポリ包囲戦は1年以上続き、病死者が戦死者を上回るハメになる。この長期化でイギリスでは内閣が倒れ、ロシア皇帝ニコライ1世が崩御し、56年3月30日戦争は終わった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。