第1回十字軍21-テンプル騎士団誕生

息子が居なかったため、エルサレム王位は、親戚のエデッサ王が継ぎ、ボードワン2世として即位した。そこへ絶好の助っ到来、ユーグ・ド・バイヤンとゴドフロア・ド・サンメール、彼ら9人で巡礼を護衛する修道騎士団を創ったという。感激した王によって神殿の丘が本部とされ、テンプル騎士団と称した。

騎士が成立したのは、カロリング後期だが、彼らは領地も少なく、戦闘専門集団と化した。そして「神の平和運動」の中で戦闘が神のためとされ、騎士叙任には司祭が立ち会い、洗礼さながらの神の儀式となった。騎士は神とキリスト教を守り、異教徒に立ち向かうとされた。

修道騎士団は、俗世を捨て個人財産を持たず、神のために異教徒との戦いに生涯を尽くすという騎士であり、その究極の姿といえる。専門の戦闘集団が欲しかったヴァチカンは、トロワ公会議で「騎士修道会」を承認し、教皇の直轄とされた。彼らは修道士であり、戒律通りの祈りの生活を送るが、戦闘は免罪である、ベネディクトの言葉を変えれば「祈り戦う」

もう一つの聖ヨハネ騎士団はもともと医療修道士である。しかし騎士修道会の成立と共に、戦闘にも従事するようになり、テンプル騎士団よりも長く生き残った。騎士修道会には、領地のない貴族次男三男が応募して大きくなった。

下は青池保子のマンガより左がテンプル騎士団、右が聖ヨハネ騎士団

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。