48年革命13-ドイツ憲法制定議会

1848年5月18日、全ドイツ諸邦より585人の議員が選出されて、フランクフルトのパウロ教会に集まり、ドイツ憲法制定議会が始まった。ところがいざ集まってみれば、ドイツのいろいろな問題が明らかになり、かえって混乱してしまった。その最大の問題はオーストリアを含めるかどうかだった。

プロイセンでも議会が選出され、プロイセン国民議会と呼ばれて憲法制定が始まった。しかしベルリン兵器倉庫襲撃事件により国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世は、国民議会にベルリン退去の勅令を出した。国民議会が反発すると、国王はヴランゲル将軍を司令官として軍をベルリンに派遣した。

軍は秩序を統制し、11月に国民議会を解散してしまう。そして欽定憲法を発布した。この憲法によって選挙が行われたが、この議会は普通選挙によって選ばれる下院と、高額納税者からなる上院の二院制で、内閣や軍の任命権は国王の独占だった。そしてこの選挙で下院に当選したのがビスマルクである。

フランクフルトで継続していた憲法論議はまるで宙に浮いてしまった。12月ドイツ国民の基本権として平等権が宣言され、翌49年3月28日パウロ教会憲法が可決され、ドイツは立憲君主制の連邦国家とされ、その元首はプロイセン国王とされた。しかしプロイセン国王はこの帝冠を拒否した。

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