1097年10月過ぎいよいよ本隊はシリアのアンティオキアに到着した。ここはキリスト教初期の主教座があった。古代からの大都市で全長12キロに及ぶ城壁がある。首長ヤギ・シヤーンは周辺に援軍を要請していたが、イスラムは領土争いをやってバラバラで援軍が来ない。
翌年アレッポから援軍が来たがヤル気がなく、あっさり撤退してしまった。挟撃のつもりで城から撃って出て軍は敗北し、城内に十字軍から首が投石機で投げこまれた。英軍が到着すると、攻城兵器も食糧も届き、十字軍はいよいよ士気があがる。
98年5月、モスルから3万人以上の軍が出陣したが、これもアンティオキアを奪うためだった、それくらいイスラムは団結していなかった。そして途中で、目ざわりなエデッサを落として行こうということとなった。エデッサ軍はたった3千だったが、知将ボードワンがこの軍を3週間足止めをした。まさに関ヶ原の上田城攻めである。
6月2日、十字軍がアンティオキア城を離れたので援軍が到着したと思った守備兵は眠りについた。午前4時、塔から綱が降ろされた。裏切りである。裏切り者は罰を受けた側近の怨みゆえらしい。近くの門があけられ、十字軍が侵入、もはやこれまでとヤギ・シヤーンは脱出したが、結局捕えられた。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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