ウィーン体制33-ケルン大聖堂再建へ

1840年にプロイセンでフリードリヒヴィルヘルム4世が即位した。彼の王妃はバイエルン王女でカトリック、皆が宗教的融和とドイツ統一の進展を期待した。そして普王がまず42年に行ったのがケルン大聖堂建設の再開である。ケルン大聖堂が由緒ある大聖堂だが、1248年に火災で焼失した。

大聖堂再建中16世紀に主教改革が盛り上がり、建設がストップした。ナショナリズムの勃興と共に、ドイツ人のアイデンティティを求める機運が高まり、ライン川流域をウィーン会議で獲得したプロイセンは、その象徴として大聖堂再建に踏み切ったのである。

普王はこの再建にあたり「この教会を作った力はドイツの一体性と力であります」と演説した。そしてプロイセンは国家の威信をかけた事業として、1880年に完成する。その威容は現在でも見られるが、157mの尖塔は当時では世界最高の高さだった。「ドイツは世界イチイイイー」

このセレモニーには、旧世代代表としてのメッテルニヒと共に、ライン新聞の記者としてカール・マルクスも出席していた。マルクスは、この年「ヘーゲル法哲学批判序説」を出し、抽象的な精神よりも、現実的な変革が必要だというテーゼを提出していた。変革の精神は動きだしていた。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。