この頃、南フランスを中心に「神の平和」という運動が広がった。司祭や修道士が聖遺物をかかげて民衆の中に入り、司教が司教杖を振り上げて「平和!平和!」と叫び、民衆が唱和する。生産力の向上で農民の力が増した。貴族達の狼藉への抗議が高まったのだ。
またドイツでは、「フェーデ」といわれる決闘が合法であり、言いがかりをつけて金目当てのフェーデも増え、この反対運動も「神の平和」と連動し、1103年には、ハインリヒ4世がフェーデを部分的に禁止する「ラント平和令」を施行し、王や領主が裁判で諍いの解決図るようになった。
「神の平和」は聖職者や農民など非戦闘員に武力を奮わないという運動であり、教会の祝日や、曜日を区切って停戦をするという「神の休戦」と同時に、応じない領主は破門することで一定の効力をもつようになった。非戦闘員の除外や停戦期間という考えは、現代まで引き継がれ、国際条約などにも反映している。初めての民衆平和運動だった。
しかし、下剋上や領土拡張がストップされたので特に下級騎士にフラストレーションが内に貯まった。ヨーロッパ内はキリスト教国ばかりになった。そこでその領土はイスラムに向ければいい。都合のよいはけ口ができるのだ。
下は神の平和運動で示された民衆を守る騎士の姿
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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