11世紀から西欧は封建社会が安定してきた。そして中世農業革命が始まる、初めに変わったのは鉄製農機具だった。それから重量有輪鋤が発明される。なぜ普及したかというと、クリュニー修道院である。クリュニー本部は資金を持つ大農園と化しており、修道士はその技術者だった。
ここで開発された技術は、傘下1000の修道院へ修道士達が伝えていった。また中世は温暖期であり、こうして少し余裕のできた農民達は、旅行に出ることになる。旅行として確実に許可されたのは、巡礼である。特にミレニアムは重大な節目であり、宗教的情熱が喚起された。
最も恩恵のある巡礼はもちろんエルサレムの聖墳墓教会詣りである。しかしファーティマ朝アル・ハーキムにより1009年に聖墳墓教会が破壊され、キリスト教徒は黒衣と十字架を着けさせられた。教会は再建されたが、この事件はヨーロッパに衝撃と共に記憶された。
さらにファティーマ朝よりパレスチナを奪取したセルジュク朝は、エルサレム巡礼を禁止し、巡礼は襲撃を受けることとなった。1064年に7000人のドイツからの大巡礼団はイスラムの襲撃を受けたと記録されている。セルジュク朝は1071年に東ローマに勝利し、皇帝を捕虜にした。東ローマからもヘルプが入る。
下はセルジュク朝が東ローマを破ったマラズギルドの戦い
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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