ウィーン体制27-青年イタリア党

ドイツも統一に向けた一歩を踏み出したが、イタリアはなかなかしんどいのだ。そもそもドイツと違い、イタリアはフランス、スペイン、オーストリーと、他国に分断された歴史がある。それに中心にどっかり座っているヴァチカンは、全欧州全世界のカトリックのトップであり、国境を区切るという考えが乏しい。

しかし1831年より、ジュゼッペ・マッツィーニが「青年イタリア」という組織を結成してイタリア統一をめざす。彼がようやくイタリア国境の概念を示すのだ。それは「神が定めたアルプス山脈と海」である。そしてこの組織は、ナショナリズムの思想を示している。

青年イタリアは、フランス革命のような個人の権利ではなく、民族の一体性を主張する。そして炭焼党のような秘密結社ではなく、堂々と政治綱領を発表して、団員をつのった。イタリアにおける初めての「近代的政党」だった。そのため多くの団員を得て普及した。

しかし青年イタリアは、武装蜂起によって統一イタリアを実現しようとして、サルディーニャやジェノヴァで蜂起を公然と呼びかける。これが当局の弾圧を呼ばないわけはない。1833、34年に武装蜂起は失敗して、マッツィーニも死刑の宣告を受けて亡命し、運動も衰えていった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。