ギブアップ寸前のハインリヒは場外へ、もといシュパイアー城に逃れてひきこもる。しかし場外カウントは続く、カウントアウトで破門になるとドイツ諸侯に新皇帝を立てられ放りだされるのだから。しかしここで場外から助っ人登場、皇帝の代父クリュニー院長ユーグが駆け付けるのだ。
ユーグは「うちのぼんこがアホなことしでかしまして、えらいすまんことだした。わてが保証人になって今から謝りに行かしますよって」と電話、いやメールもないから手紙を持たせて放りだした。妻子と3人だけでドイツを脱出して雪のアルプスを越え、ローマに着くと教皇はもう出発したというではないか!
まさに万事休すのハインリヒは途中のカノッサへで教皇との対面に賭ける。1077年1月、雪のカノッサ城の前にハインリヒは裸足で羊毛の長衣だけを着て会見を願った。中にはマティルデも。かつて自分と母は同じ格好で、彼の父に同じ所で赦しを乞うた。今や熱烈な信者のマチルデは、これを神慮とうち震えたろう。
キリスト教は悔悛の意を表す者は赦さねばならない。さすがに3日もすると、内部で赦す意見が強くなる。あのプライドの塊のハインリヒがこんな格好をしたのは、ユーグの入れ知恵だろう。教皇は破門の解除をドイツ諸侯に書き送った。第1ラウンドは教皇の完勝だったが?
下はふんぞり返る教皇とマティルデ、実際はどうだったのだろう
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント